認知症講座
今日、私の関係している団体の主催している「認知症サポーター講座」が開催された。
雨降りにも拘らず、30人近い人が集まって包括支援センターの講師の話に耳を傾けていた。
私はといえば、このところ連日続く睡眠不足の日々のせいか、包括の方が話をしているときに寝てしまったのだが、こういった機会を作ることでより多くの人が、高齢者と高齢者をサポートする人の現実に目を向けてくれたらと思う。
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今日、私の関係している団体の主催している「認知症サポーター講座」が開催された。
雨降りにも拘らず、30人近い人が集まって包括支援センターの講師の話に耳を傾けていた。
私はといえば、このところ連日続く睡眠不足の日々のせいか、包括の方が話をしているときに寝てしまったのだが、こういった機会を作ることでより多くの人が、高齢者と高齢者をサポートする人の現実に目を向けてくれたらと思う。
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バイト先の施設に養護学校からの実習生が来ている。
1週間にわたって施設で過ごしていくのだ。
本人もさることながら、先生は大変だと思う。毎年、何人かの卒業生が入所してきている学校なので先生の方も顔なじみというところはあるのだが、1週間生徒に同伴して来て、1日中生徒の介助をし、更に実習のレポートを作成したりしなければならないのだ。
健常児の学校ならば、実習など無かったりあっても巡回して指導するだけですむところだ。
以前、養護学校の先生達と話したら、書類作成に追われて、生徒達と過ごす時間が作れない、あるいは指導のための方策を考える、教師同士の連携のための打ち合わせをするなどの時間が作れないと嘆いていた。
教育の現場には馴染まない成果主義が持ち込まれているのも原因らしい。
個人主義の時代と言われるが、学校現場は企業戦士養成の場という色彩を強くしているようだ。
企業戦士養成コースを歩んだにもかかわらず、最終的に脱落するとどうなるか。今回の秋葉原での殺傷事件がよく示していると思うが、社会全体で教育のあり方を見直した方が良いと思う。
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介護事業者の倒産が相次いでいるというニュースを見た。
原因は介護の現場でメシを食っているものなら誰でも分かる。介護報酬の少なさと人手不足だ。
ブログには何度も書いたことがあるが、何せ給与が安い。
正職員の給与も安いが、パート職員の時給なんて、話にならない。
3K(きつい・きたない・きけん)とまでは言わないが、場合によっては人の命にも関わるような仕事なのに、時給がファーストフードやスーパーのレジより安いんだから、好きな人で無い限り辞めて行ってしまうだろう。
高齢者のデイサービスで一緒に働いている人達は本当に仕事が好きでやっているんだなと改めて思う。
格差社会と言われるが、これから所得税や法人税は減税されて、消費税は増税。貧乏人のエンゲル係数は上がり続け、裕福な層は可処分所得が増えるという更なる格差の助長。
そこへ来て介護や医療は先が見えないとなると・・・、自殺者が減らなくても不思議は無いか。
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金曜日、ある授産施設の利用者さんを迎えに施設に行くと、利用者さんの母親達が、入口に集まって何やら喋っている。耳をそばだててみると、どうやら、前の日に施設で配られた和菓子の賞味期限が配られた時点で既に二日前のものだったらしい。
その和菓子、ある利用者さんの親が快気祝いか何かで配ったものらしいが、販売元から届いたのがいつか分からない。そこで母親達は、施設の職員に糺してみようということになったようだ。しばらく待っていると施設の職員が降りてきて母親達が質問すると、職員曰く「今朝届いて賞味期限が切れていることにも気付いていた」というではないか。
やれ赤福だ、吉兆だと、食品問題がかます厳しいこのご時勢にのんびりしたことである。
今日、再び利用者さんと一緒に授産所に行くと件の和菓子の販売元の人が緊張した面持ちで玄関先に立っていた。傍にいた利用者の母親に聞くとどうも賞味期限の印刷にミスがあって誤った賞味期限のものが配達されたらしい。
和菓子は、町の小さな和菓子屋のものではない。名古屋市内でも有名な和菓子店の看板商品だ。
和菓子店にとっては、小さなミスが命取りにならないよう、対応に細心の注意を払わなければならないだろう。
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昨日は高齢者デイサービスで働く日だった。
大柄なおじいさんがいる。
動作は緩慢で認知もかなり進んでおり、デイサービスの中での色々な取り組み、例えば体操をやったり、ゲームをやったり食事に取り掛かったりといった、切り替えの必要な場面では混乱してしまったり、一日過ごす中で混乱が続くと大きな声で怒鳴ったりしてしまうという方である。
昨日は、この方をわたしが家まで送っていくことになっていた。
前回別の担当者が送っていたときは、自宅に着いたということが理解できず、自宅前で大声を出してしまい、仕方が無いので再び車に乗っていただいて、他の利用者さんのところに先に回ってから、お送りしたということだった。
昨日もそうなるのかと思い、心の準備をしてご自宅に向かった。
ところが、おじいさんは手前の大通りから曲がるところから道順を的確に指示してくれて、自宅にもすんなり入っていってしまった。
認知症って不思議だ。
言葉は悪いが「まだらぼけ」というが、全ての場面で一律に同じように症状がでるわけではない。
認知症者は大きな混乱の中で暮らし苦しんでいる人だということが、改めて認識できたように思う。
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NHKのニュースでやっていたが、東京23区(名古屋でも同じだと思うが、名古屋は製造業が調子いいだけにもっと深刻な状況かも)で介護従事者が他の業種に移ってしまい、十分なサービスが提供できなくなると危惧されているらしい。
当たり前だ。
人間相手で面倒くさい仕事なのにファーストフードやコンビニよりも時給が低いのだ。
夜勤もあり、休日も働かなければならないのに、月給は平均を大きく下回るのだ。
若い人が希望を持って就く職種ではなくなってしまっている。
情熱だけでは働けない。今は給料が安くても将来は給料が上がり、結婚、子育てや老後といった見通しが立てられる仕事でなければ若年層はどんどん離れていくだろう。
ましてや年金・医療保険制度の崩壊でますます先行きの見通しは暗くなっている。自分が手にする現金だけが頼りなのだ。実入りの少ない仕事には魅力が感じられないだろう。
東京都はオリンピックの候補地になったといってはしゃいでいる場合ではない。
オリンピックが来る頃には東京は介護砂漠になり、孤独死老人の墓場になっているかもしれない。
しかし、この状況は誰のせいだろう?
社会保障費の総額抑制を掲げる政府はもしかしたら高齢化で需要の伸びを抑えるのが不可能である以上、供給側を抑えて社会保障費の抑制を図っているのかもしれない。
すなわち働く人がいなければ介護サービスを提供しようにもできない。すなわち介護サービス費用は支出されない。実態を伴わない「介護従事者処遇改善法」を制定したのはお茶を濁すため。
これは勘繰り過ぎだろうか(笑)。
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今日の仕事は高齢者のデイサービスで生活相談員。
生活相談員とはいっても他の職員と仕事の内容は変わらず(本来は違うのだろうけど、私のように臨時雇いの生活相談員では同じである)、利用者さんの話し相手になったり、給仕をしたり、あるいは掃除や送迎をしている。
今日の利用者さんは9名で男性が2人、女性が7人だった。
男性の内、1人の方はかなり認知症が進んでいるものの穏やかな性格で、デイサービスでの取り組みをそれなりに楽しまれ、にこやかな表情で過ごされる。しかし、もう1人の方は、機嫌を少し損ねただけで「俺はもう帰る!」の連発になってしまう。
今日も何が気に入らないのか(もしかしたら、常勤の女性職員が1人、有給をとっていないせいかもしれないが)、昼前から「帰る!」の連発で、昼ごはん後にはとうとう近くに住むご息女の家にいってしまった。まぁ帰りたい人を無理に引き止めるわけにも行かない無いので、ご本人が帰るという以上、ある程度は認めざるを得ない。意思に反して引き留め続けたら監禁になってしまう。
しかし、この騒ぎを聞いていた女性の利用者さん2人の会話は「かえるかえると、駄々こねて情けない男、おとこおんなだね!」、「どうせ家に帰っても誰も相手してもらえないんでしょ」。
女性は年代を超えて厳しいもののようだ。
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今日、移動ケアの仕事で乗ったバスは、なんと!、運転手氏が車体側面の機器を操作すると、警告音とともに自動的に車いすが乗るために必要なスロープがせり出してくるのだ。
しかし、このスロープ、運転手氏には申し訳ないが、もう20cmだけ、バスを歩道側に近く止めてくれたら必要の無いものだ。スロープを使わずに乗降すればその分乗り降りに要する時間が短くなり、他の乗客に対する引け目も感じずに済むのだ(引け目を感じる必要は無いと言えばそれまでだが・・・)。
とは言え、スロープを出してくれた運転手氏には、業務だから当たり前だが、それでも感謝しなければならない。
しょうがいを持つ人が社会に出るには小さな支援の積み重ねが大事だからだ。
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しょうがいを持つ子ども達の地域生活を考える会の年次総会があった。
全国の会の調査結果報告が中心だったが、報告を聞きながら現状を考えると一つの疑問に行き当たる。
しょうがいを持つ学齢期の子どもの支援というのは何を目指しているのだろうか?
会の場ではあまり考えがまとまらなかったので、少ししか言えなかったが、しょうがいを持つ子の放課後を支える社会資源に対するニーズは大きく分けて二種類あると思う。
一つは療育・訓練・余暇など本人からのニーズ、もう一つが家族のレスパイトや親の就労支援など他者からのニーズだ。
今までの運動はこの二つのニーズをごちゃ混ぜにして漠然と行政に対して要求運動をしていたような気がする。
それに対する行政の対応が、例えば自立支援法の児童デイサービスを幼児に対しては療育の場と位置付けて単価を厚くし、学齢期に対しては療育ニーズが少ないとして単価を低くするというようなものだ。
私達は方針の転換を図る必要があるのではないか?、真剣に考えるのである。
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「介護従事者等の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律」のニュースはあまり反響がない。
そりゃそうだろう、って感じだ。
何せ法の中身は「政府は、(中略)、介護を担う優れた人材の確保を図るため、(中略)、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」という一文だけだからだ。
「必要があると認めるとき」ってどんなとき?
インドネシアから予定通り人材が確保できなかったとき?、確保できてもあまりのしんどさにみんな逃げ帰ったとき?
厚労省に盆暮れの付け届けを欠かさない事業者からも苦情が来るようになったとき。
介護で働く人は仕事の内容と待遇のアンバランスが最大の問題だと考えている人が少なくない。
情熱だけでは働けないのだ。
かく言う私も介護施設でバイトするより、近所のスーパーでレジ打ちをやった方が効率がいい。
政治家や経済界の奴等は「年金を税金で賄う」などと言い出して、消費税をアップしなければ国の財政は危ういという。魂胆はまる見えだ。企業の保険料負担を税金に転嫁するのが目的だ。
消費税はエンゲル係数の高い家庭ほど打撃が大きいだろう。
すなわち低所得者ほど重税感を感じる制度だ。
低所得の介護従事者にとってますます厳しい状況になろうとしている。
若い世代に介護の担い手を期待するのは無理なようだ。
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昨日、近所の福祉施設経営者の人と少し話した。
しょうがいを持つ子ども達の居場所作りをしている私だが、場所探しに困難を感じているので、場所を提供してもらえないか相談に行ったのだ。場所は借りられなかったが、しょうがいを持つ子ども達、人たちの支援の行方について話した(っていうか私が愚痴ってた^^)。
今の障害者自立支援法はとにかくひどすぎる。たぶん未来において現状より悪化することはないだろう、というのが経営者と私の共通の認識だった。しかし二人とも、とても良くなることはない、という認識でも一致した。ではこの先、しょうがいを持つ人たちの生活をどうやって支えていくのか?
ヘルパー事業も運営する経営者の方は、以前は募集をかけなくてもひっきりなしに働きたいという人が現れたのにいまはさっぱりだと言う。待遇を良くして募集をかけようにも現在の自立支援法・介護保険法の中では待遇を良くしようにもサービス提供単価が安すぎる。たとえ時給を少し上げたとしても継続して働く人を確保するのはとても難しいのが現状だと言っていた。
私もこの点には同感だ。
時間いくらの今の制度では、時給制アルバイトを雇うことはできても、長期的に働く人を雇って、その人の給料を毎年少しずつでも上げていくのは困難だ。しかし、一生懸命働いても一生給料の上がらない仕事に誰が就きたいだろうか?
厚労省の役人はいざ知らず、しょうがいしゃ福祉に携わる人はみな、子の仕事には技術と経験が必要だと感じている。しょうがいを持つ人に対してしょうがいそのものについての知識と理解を持ち、人に対する心理的・物理的な支援技術を備えていないと良い支援はできないのだ。
しかし、現状ではそれに見合う待遇をできない。
しょうがいしゃ福祉は(高齢者も児童も)、暇つぶしのボランティアではできないのだ。
このことが世の中全ての共通認識となる日が来ることを切に希望したい。
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バイト先の施設で「スヌーズレン」というものを初めて体験した。
以前から施設内の1室にミラーボールや投光器、背の高い水の入った柱などがあって気にはなっていたのだが、何のために使うのか良く知らないでいた。
今日、体験して初めて用途を知ったのだ。
スヌーズレンは怪しいまやかしものでなく、ちゃんと日本協会のようなものもあり、それなりの理論に基づいて実践されている。
しかし、今日、私には良く分からなかった。
実は日本スヌーズレン協会のHPを見たりしたのは帰宅してからで、職場では全く鞭式のぶっつけ本番で臨んだのだ。睡魔と闘うのに大変だった、というのが私の感想だ。
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久しぶりに静的弛緩法の学習会に参加した。
月末日曜日の午前と決まっているのだが、なかなか時間が取れなかったのだ。
今日の先生のお話は「感じ」を学ぶと言うことだった。
しょうがいを持つ子どもたちが、足が地面についている「感じ」、おなかに力を入れている「感じ」等を学ぶことにより、動作に繋げていく、そんな話だったと思う。
後の実技で実際に子ども達に触れてみて力の入った感じや、おなかに触っていると力が抜けて深い呼吸ができる感じを実際に体験することができた。
子どもたちは、触れてもらって楽になる、という受動的なだけの存在でなく、触れてもらったことに自分自身の意識を向けて、触れられていることを「感じ」、力を抜いたり、入れたりする能動的な存在だと言うことを学んだ学習会だった。
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今日は、4件のケアがある・・・、はずの日だった。
しかし利用者さんの体調不良ということで2件がキャンセルに。
いくら介護従事者待遇改善の法律が通っても、簡単にドタキャンされるような仕事では仕事する人は集まらんわなぁ。
もっともちゃんとしたところに正社員で就職していないお前が悪いと言われればそれまでだが・・・。
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「介護従事者等の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律」という長ったらしい名前の法律が今日、成立したらしい。コムスンの事件を受けて議論されてきた、介護保険法の改正と同時のようだ。
「介護労働者約80万人(常勤換算)に対して月額2万円程度の賃金引上げが可能になる計算」(民主党のHPより引用)ということだが、介護の現場にいる者達にどれだけ恩恵があるのか、非常勤の職員の報酬アップに繋がるのか、注視していかなければならない。
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彼のこんなに激しい発作は初めて見た。
火曜日、施設にいる最中に彼は発作を起こした。
全身を硬直させながらぶるぶる震えて、時折喉の奥から搾り出すような声を上げる。
施設の古株の職員の人によると以前は度々起こっていたという。
痙攣止めの軽い座薬を入れても効かなかった。
今日、二日ぶりに会うと彼はぐっすり眠っていた。
あの日家に帰ってからは落ち着き始め、疲れきったのか、昨日、今日と眠り続けているらしい。
彼の苦しみは知る由もない。
苦しみを軽減するためにいや、もたらさないためにできる限りのことがしてあげたいと思うばかりだ。
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介護保険で提供されるサービスを受けるのは一般に65歳以上の高齢者というのが、原則だ。加齢に伴って身体的、精神的な機能が衰えて自立生活に支障をきたすようになったときに在宅、あるいは施設入所のサービスが受けられるようになる。
自立支援法はしょうがいに起因する不自由に対して支援する制度だ年齢の制限はなく、そのしょうがいの程度に応じてサービスが受けられる。
しかし例外はある。慢性リューマチや、脳梗塞、あるいはALSなどの「特定疾病」によって生じる支障については40歳以上であれば介護保険の対象になるのだ。私のパート先の高齢者デイサービスにも脳出血によって不自由を抱えた40代の利用者がいる。
だがしかし、この基準を万人に一律に当てはめて、「あなたは特定疾病で40歳を超えているから介護保険」、「あなたは特定疾病に起因しないから60歳でも自立支援」となると問題が生じる。
介護保険の精神は高齢者に対して「今までお疲れ様でした。あなたの老後の不自由は社会全体で支援します」的な要素を持っていると思う。これに対して自立支援法は、しょうがいがあっても社会参加を積極的に進めるのが趣旨だ。したがって利用できるサービスの性質も大きく違う。
特定疾病を抱える知人が40歳を迎えて、役所から「あなたはこれから介護保険制度を利用しなさい」と言われた。彼女はしょうがいを持ちながらも前向きに生活し、活動の場を広げてきた人だ。
そのような人にとって介護保険は使い勝手が悪い。介護保険はサービス提供にかかる費用の内、半額を保険料から負担するのに対して自立支援は全額だ。支給額の抑制を上部機関から指示されている役所の窓口にとっては介護保険の扱いにしたほうが良いのかもしれない。だが役所の都合で前向きに生きようとする人の意欲を摘むことは許されない。役所は柔軟な対応を心がけるべきだと思う。
逆に特定疾病に起因しない65歳未満の人にとって自立支援法に基づくサービスでは、不足する部分もある。
法律を見直す必要があるだろう。
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今日も利用者さんと市バスに乗った。
いつもと同じ時間だったが違うタイプの市バスが来た。このバスは乗るときのスロープがどこから出てくるのだろう?、あるいは車内に備え付けのものを使うのか?
そう思いつつもバスと歩道の間隔がぎりぎり直接乗車できる状態だったので、少々強引だったが、乗り込んだ。
運転手氏にシートを上げてもらい車いすを固定金具の間に置くと運転手氏が必死で固定具を探している。普段なら座席の傍に格納箱があり、そこに入っているのに。今日のバスではシートの奥の壁の中に入っていた。
固定具をセットする。この時点で既にかなり時間が経過しており、他の乗客の視線が痛い。
まったく低床バスの種類が多すぎる。手際の悪いことで運転手氏ばかりを責められない。
このことを施設で話したら、同じような経験をした人がいた。
運転手氏の中にはこちらが車いすを降車させようとして車いすの後輪を浮かせているときに手伝おうとして前輪を持ち上げる人がいる。一つ間違えば私自身がバランスを崩して後ろ向きに倒れてしまう。
車いすのタイプも色々あるので難しいとは思うが、基本的な車いすの介助も運転手氏は学んで欲しいと思う。
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作業所への通所を支援している利用者さんがいる。
彼は一度グループホームに入ったのだが、事情があって出てきた。昨日、お母さんから、その事情を聞いた。彼には唾をよく吐く、っていうかよだれをよく出す癖がある。
その癖が同じGHを利用する人の親から「汚い」と言って嫌われてしまったらしい。
私自身は彼のその癖が全く気にならない。
でもしょうがいを持つ人の親同士でもそのようなことがわだかまりになることがあるのだ。
彼のお母さんはそのことが苦になって、作業所への送迎もやりにくくなってしまい、私のようなヘルパーに依頼しているのだ。
やるせない話だ。
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久しぶりに介護福祉カテゴリの記事を書く。
今朝の新聞を見たら、重度障害者に対して後期高齢者医療制度への加入(65歳~74歳は任意)を医療費助成の条件としている道県が10もあるという。
自治体の負担軽減が目的らしいが、この中に愛知県も入っているのだ。
財政の苦しい北海道があるのは分かる。
しかし、愛知県は逆に地方税収の公平化といわれて法人二税を他県に移転したような県だ。
おかしいと思う。
だが残念ながら愛知県は社会的弱者に優しい県ではない。県議会の議員どもは既得権益の確保に奔走し、トヨタグループを含む大企業グループの助成と繁栄の援助こそが県の使命だと思っているような県だ。
弱者である重度障害者などは十分な医療が受けられなくても構わない、経済的な成功者だけが生き残れればよいと思っているのだろう。
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祖母が体調を崩して入院した。
とはいえ高齢で以前から入院していたが、持ち直し病院の食堂で食事できるまでに回復していたのだが、気管支炎を再発させたのだ。
好物のクッキーを持って見舞いに行って、本人の前で開封したところ、たまたま部屋にいた看護師さんに、「まだ経口の食事が始まっていない」と止められてしまった。
本人には好きなものを見せられてから止められてしまったわけで大変申し訳ないことをしたと思う。
「手が足りないから」と言って脇机に仕舞うのではなく開封して枕元に置いて欲しいという祖母の言葉が痛々しかった。
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昨日も(今日も)高齢者のデイサービスで生活相談員として働く日だ。
生活相談員といっても実際にやる内容は他の介護職と変わらない。ただ「利用者やその家族の生活全般の相談に乗る仕事」という建前があるので、家族との連絡ノートや利用者さんの状況のチェック等の仕事がある。
働き始めた当初は利用者さんの顔と名前が一致せず、とてもノートを書くどころではなかったが、だんだん慣れてきて利用者さんの顔を思い出し、その日の状況を思い出しながら連絡ノートが書けるようになってきた。
昨日はいつも不機嫌だった(少なくとも私が働くようになってから機嫌の良い顔を見たことがない)、男性の利用者さんがいつになく上機嫌で、ゲームなどにも積極的に参加してくれて、お蔭で全体の雰囲気も和んだ。
今日もその方は来所するが昨日の機嫌が続いていてくれると良いと思う(だめだろうけど)。
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この後期高齢者医療制度という名前は、私が昨年1月に社会福祉士の受験をするため試験勉強をしていたときに既にテキストに出ていたので、相当前に制度として発足が予定され、政府も広報をしてきたのだろう。
しかし、実施の段階になってこれだけ混乱し政府が叩かれるのはやはり今の政治状況が影響しているのか?
自民党の安定独裁時代であれば、多少マスコミが騒いでも役人達が知らん振りを決め込んでいればそのまま制度が定着し、国民は従わざるを得ないところだが、与野党伯仲という状況下では、不満が出た制度を放置しておくと与党が選挙に負け、政権が転覆するという結果になるため、制度の不備はすぐに対応しなければならない、あるいは制度そのものが機能しない(ガソリン税の暫定課税延長問題などは好例だ)。
日銀総裁が決まらないことなどを捕らえて政治が不安定だと良くないという向きもいるが、国民にとっては与野党伯仲して緊張感があるほうが良いようだ。
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障害者自立支援法もそうだが、混乱したり反発を招くのが当たり前の制度が施行されて予想通りの様相を呈してきている。この法律を作った役人や通した国会の責任はどうなっているのか?
役人や議員どもは自分たちの生活に関係ないと思っているかもしれないが、悪法に生活を左右されるしょうがいしゃや高齢者にとっては切実な問題だ。嗚呼住み難い国だよ。
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今朝、居宅介護でうかがった方のお母さんとしょうがいを持つ子の兄弟についての話題になった。
どうしてその話題になったかは忘れてしまったが、大変なのは本人や親だけでなく兄弟、特にしょうがいを持つ子を兄や姉に持つ子は大変という話になったのだ。
親亡き後、兄弟の面倒を見なければならない、結婚などするときにしょうがいを持つ兄弟の存在が支障となる、などなど、色々な話を聞くことがある。
でも良く考えると、原因は社会自体のしょうがいを持つ人に対する偏見、しょうがいを持つ人に対するサポートの少なさにあるような気がする。
ハンディキャップを持つ人が安心して暮らせる世の中であれば、家族など周囲の人たちも安心して暮らせるのだ。
なんだか抽象的な文章になってしまった。
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社会福祉協議会が計画・実施する「地域福祉活動計画」の委員をすることになった。
従来から参加しているのだが、継続ということで。
昨夜会合があり参加したが、新しい顔ぶれも増えていて、地域にはいろんな人がいるものだと改めて感じさせられることになった。
しかし、今後の進め方ということになると前途多難としかいいようがない。今まで策定してきた地域福祉活動計画を元に作業部会を設置して委員を希望により振り分け計画を遂行していくという目論見らしいが、新しく参加した委員には計画の趣旨や内容を周知することから始めなければならず、中心となるべき社協の職員は、作業部会に参加して!といえば何の疑問も抱かず黙って部会に参加してくれると思っていたようだが、わざわざボランティアで社協の活動に参加しようなどという酔狂な人たちが一筋縄で参加してくれるわけもない。
作業部会の構成から検討することになったが、従来から実施してきた事業との整合性も考えなければならず、道は遠い。
まあ、楽しそうではあるが^^
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今日は午後から雨。
通所施設の帰りを支援する仕事は雨の中のケアになった。真冬よりマシとはいえ、さすがに憂鬱でつらいものがある。市バスの運ちゃんはめんどくさそうな対応でベルトも全て装着してくれなかったが、それに抗議する気力もない。
取り敢えず転倒防止用のロープでしっかり固定してOKとした。
明日は上の娘の中学校の入学式。なんとか晴れてくれないだろうか。
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バイト先の通所施設で養護学校高等部を卒業して、4月から通所することになった方々の入所式があった。
その中の一人の母親が「これまで、どうなるだろうと言う不安で一杯だったが、今日、入所式を迎えてやっとこの子と共にスタートラインに立てる」と言って涙ぐんでいた。
今日はその言葉に尽きると思う。
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似たようなことを書いた記憶もあるが?
しょうがい福祉の現場で「わがまま」という言葉を使いたくない。
先日、お話を伺った竹澤清先生は「問題行動の中から発達要求を見出す」とおっしゃった。
わがままと思えるような振る舞いの中から真の要求を見出して支援しなければならない。「わがまま」と決め付けた瞬間に真の問題を探り出して援助する道は失われてしまうだろう。
「わがまま」という言葉は使って欲しくない!
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身体的な支援は分かりやすい。
歩けなくて困っている人は歩行を介助すればいい。嚥下にしょうがいのある人は食事を介助すればいい。視覚しょうがいのある人に対してはその人の目の代わりを務めるべく声で周囲の状況を伝えればよい。
もちろん支援技術は奥深いものであり、単純に一言で言い切れるようなものではない。しかし必要性と援助を行なった結果はわりとはっきり目に見えて分かりやすいのは事実だ。
それに対して心理的な支援はどうか?
例えば社会性に困難を持つ自閉症の人を支援する場合。周囲の状況が読めなくてパニックに陥ったり、問題行動を起こしている人に対して、前提知識がなければ「わがまま」というレッテルをはってしまうだろう。あるいは、「甘やかされている」、「未熟」などという言葉が投げかけられるかもしれない。
でも、その行動がある種の障害に起因する場合、身体的なしょうがいの場合と同じように支援を行なうべきだということについては議論の余地はないだろう。
しかし、そのような支援が必要であり、それを行なっているということは身体的な支援に比べて分かりづらい。場合によっては「わがままを助長している」的な見方をされることもある。
こんなことを書くのはバイト先の施設で、「わがまま」的な扱いをされている方を見たせいだ。
本当にわがままかどうかは簡単に断ずることはできない。
心理的な支援は分かりづらいものだ。バイトの身分で説法するのは躊躇する部分もある。
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紆余曲折を経て、今日、ようやくNPO法人の認証申請を県に提出し、受理された。
これから認証に至るまでの期間の間に事業の内容をつめ、何よりも私自身が会計や事業計画などNPOの運営について学ばなければならない。
頑張ろう
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縁あって高齢者のデイサービスでバイトすることになったが、昨日二日目となるバイトに行ってきた。
前回の利用者さんとさほど顔ぶれが変わっていなかったので、利用者の顔と名前が割りと一致した状態だった。又来たねと声をかけてくれた利用者さんは一人だけだったが。他のスタッフの真似をしてコミュニケーションを図ったり、会話の中に加わったりしたが、いまひとつぎこちない状態のまま終わってしまった。
利用者の女性の一人にとても元気な方がいて、体も自由に動くし、同じ内容の話の繰り返しは多いものの口も達者という方がいたが、家族からのノートを見ると元気余って手を焼いているという様子が伺え、他のスタッフに聞くと手が出ることもあるらしい。施設内では他の利用者やスタッフにそれなりに気を配る一面も見えるのに、なんと人間と言うものは場所によって姿が変わるものなんだろう。
しょうがいを持つ人の施設も楽しいが高齢者の施設もそれなりに楽しさが満ちているものだ。
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バスの中で視覚障害の方にあった。
満席のバスの中で立っていたが、譲ってくれた人がいた。しかしその人は黙って譲ってくれたので当人には伝わらない。仕方が無いので私が声をかけて席が空いたことを伝えた。
バスを降りてからは地下鉄のホームまで誘導したが、周りの人の視線が鬱陶しかった。
当たり前のことが誰でも当たり前にできて注目も集めないような世の中になって欲しいと思う。
生き易い世の中に。
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日曜日に続いて温かく気持ちのよかった昨日、月曜日。
黄砂の性で喉が痛くマスクは手放せなかったが、外出の介護を楽しめる日だった。
一件目の利用者さんは最近ストレス溜まり気味のせいか、出かけるときに持ち物を持っていくかどうかで一悶着あり、歩いている最中にも指を噛んだり、噛んだ指の皮が剥けてしまったのでバンドエイドでくるむと今度は袖口に唾を塗り始めた。また服の上から私の腕をつねったりと、やはり季節の変わり目と言うのは不安定になるなぁ、という感じ。
二件目の方は、それなりに調子が悪いと言うことで、階段もゆっくり降りる。しかし車いすに乗ってしまえばこちらのもの。天気がよければ地下鉄二駅分を押して歩くのも全く苦にならない(金曜日は雨が降っていたので最悪だったが)。
気分良く(たぶん私だけ)施設についてさようならしてきた。
これから温かくなってこういう日が増えて欲しいな。
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わがままという表現がある。
大辞林によると「他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動する・こと(さま)。身勝手。自分勝手。」とある。
仕事先にいる同僚や取引相手や私生活で関わりのある人に対してこの言葉を使うこともあるだろう。
しかし、知的しょうがいを持つ人と関わるときにこの言葉が適当か、はなはだ疑問がある。
特に自閉症スペクトラムといわれる類型に属するしょうがいを持つ人たちは「社会性」という部分で弱さを持つとされているが、まさしく大辞林に書かれているような行動を取ってしまうことがある。
じゃあ、どこまでがしょうがいで、どこまでが本人が注意して直すべき性格なのか。身の回りにいる「わがまま」と言われる人は実は自閉症スペクトラムに属するしょうがいを持つ人で本人は気付いていないが支援が必要なのか?
一度詳しい人に聞いてみたいと思う。
取り敢えず、しょうがいを持つ人に関わる専門職はやたらと「わがまま」という言葉を人に対して投げかけない方が適当だとも思う。
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前々回とその前の記事で「ヘルパーと施設職員」をテーマにしたきっかけは、バイト先の施設の利用者さんが施設への行き来によく利用しているヘルパー事業者が施設への送迎の支援を取りやめるというのを聞いたからだ。
一時間いくらのヘルパー事業者にとって採算は厳しいものがある。
心情的には支援を続けたくても事業が継続できないような状況では話にならないだろう。
送迎の支援を続けることで事業所そのものが存続の危機にさらされるようなことになると、他の在宅介護やヘルパーさんたちの雇用問題に発展しては元も子もないだろう。
この事態に対して施設側がどう対応するのか、興味津々だ。
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じゃあ、施設職員に比べて技術習得や意識向上の機会の少ないヘルパーの質を上げるにはどうしたらよいのか?
私自身は時間とお金の^^許す限り各種の学習会、あるいは各団体の行事に参加することで、スキルの向上に努めつつ、モチベーションの維持も図っている。
しかし、ヘルパー個人個人の思い入れや自己負担では限界があり、更にその個人の思いにより偏ってしまうこともあるだろう。
やはり、今の日雇い制が誤っているのではないだろうか?
ある利用者さんの生活を細かく分割して色々な事業者に任せるのではなく、生活全体を月単位などで依頼することにより事業者にとっても収益の見通しが立てやすく、ヘルパーにとっても報酬が安定して得られるような仕組みが必要なのではないか?
その日の朝になってみないと、今日の仕事があるかないか分からない(実は私自身、今日訪問介護の仕事が1件キャンセルになっているのだが)ような状態ではヘルパーのスキルや意識の向上、更には地位の向上は難しいだろう。
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ヘルパー(居宅介護従事者)と施設職員の関係を考えているうちに、やはり日本の制度上在宅福祉が軽んじられているというところに思いが至った。
「脱施設」だの「地域福祉」だのと掛け声は勇ましいが、しょうがいしゃ福祉にしろ高齢者分野にしろ、在宅での生活を支援するケアマネジメントに対して十分な制度上の保障が行なわれているとは言いがたい。
自宅で生活を送り、施設に通所する人にとっては自宅での生活が主であり、その部分を充実しなければ施設で手厚い支援をしても、本質的な生活の質の向上には程遠いと思われる。
考えてみれば教育の部分もそんなところがある。
学校での教育は口やかましく言われているが、放課後や家庭での生活は光が当たらない。
しかし子どもが成長するにあたっては学校生活もさることながら家庭や地域でどのように過ごすかが肝要であろう。
この国の教育・福祉の基本的な発想を変えなければならないと、酔った頭で妄想するのだ(笑)。
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居宅介護のヘルパーと施設職員(両方とも日雇い^^)を兼務している私だが、施設の職員から時々、ヘルパーの仕事を見下す発言に出くわすことがある。
確かに施設の職員は、立派な建物の中で働き、チームワークを組んで支援にあたり、仕事の内容について先輩の職員からきちんと指導を受けていて、不定期に利用者と接するパートが多いヘルパーとは仕事の密度が異なるようにも思える。
以前、知的障害者の移動支援の講習を受けたとき、知的障害者施設の職員の講義があった。その職員は最後に、自分の体験として、ある日施設での日課が終わって帰る利用者が、出口のところで靴をはくときになって、帰りを急ぐヘルパーとトラブルになった話をした。職員氏曰く、「もっと利用者の気持ちを汲んで余裕を持って支援すればいいのに」と他人事のような言い方をしていた。しかし、その利用者は毎日施設での日課が終わったらヘルパーと帰っているのである。施設の職員氏がそのような気もちを持つのなら、時間の余裕が無い帰りの行程を気持ちよく過ごせるよう支援するのが本来であろう。例えば早めに帰る準備をして出口で戸惑わないようにするとか、靴を履きやすいように支援するとか。
施設の中での生活だけを見て、後は知らん顔、あるいはその部分を担うヘルパーに対して見下すようなものの見方をする。そんな施設職員が多いように思う。
気をつけなければ。
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しょうがい福祉サービスに従事していると、時々誤りを犯す。
例えばしょうがいを持つお子さんの親から、サービスの利用を依頼されたとき。
当人の都合でなく親の都合を聞きながらサービス計画を立ててしまう。「この日のこの時間にこの子がいると困るからサービスを提供して欲しい!」。もちろんしょうがい福祉サービスには家族のレスパイトの利用も認められているので、ある程度は認められているものの、あくまで原則は本人の福利のためということを忘れないようにしたい。
ノーマライゼーションという言葉が北欧のどっかの国で言われるようになって幾十年。
しかし、未だにしょうがい者はしょうがいゆえに社会に貢献し得ず、他人から恵みを受けて日陰者として暮らさなければいけないような考え方がまかり通っている。
上記のようなしょうがいを持つ子ども本人よりも親の都合を優先してサービス計画を立ててしまうのも、この考え方と似たり寄ったりだ。
しょうがい福祉サービスは、しょうがいを持つ人が幸福を追求する権利の実現のためにあるということを忘れないようにしたい。
こんなことを書くのは、いま、しょうがい福祉サービスの立ち上げについて親達と話しているのだが、親の中には、「A子(しょうがいを持つ子)が学校に行っている間は、学校から帰ってきてからは妻が見ているし、休みの間は俺も世話できるからサービスは使わない」とか「大人になってからは働くための場所を作らないといけない」などと言う人がいるからだ。A子にとってどのように放課後を過ごすのかが、最善なのか、大人になってからどのように過ごすのが最も幸せなのか、という視点が全く感じられない。困ったものだ。
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しょうがいを持つ子の生活を考えるという趣旨の会合に出席した。
来年度からの県や市の放課後支援の方向性やそれに対して行なった要望などが報告された。
市の方では現在試験的に実施しているタイムケアを実施場所を増やして事業化するらしい。
しかし肢体不自由児は対象としない、保護者の負担は青天井、実施場所はたったの8ヶ所など問題だらけのスタートになるようだ。「取り敢えず実施しました」なんていう役人のしたり顔が見えるような内容だった。
続いてしょうがいを持つ小学生の親に対するアンケートの報告。
余り件数が集まらなかったという報告者の釈明があったが、少ない件数でもアンケートを作成、配布し結果を集計した労力に対して感謝したい。
アンケート結果に対して「小学生の親は危機感がない」という声があったが、このような会合に出てくる人と一般の親の温度差というのはかなり激しいので仕方が無いだろう。自分たちがどのようにして危機感を共有するような取り組みをしてきたか、反省すべき点も多いと思う。
さ来年度の行政施策に向けてアンケートを追加実施するという報告が最後にあった。項目が発表されていたが、個人的には、「欲張りすぎ!」という感想をもった。
しょうがいを持つ子を抱えながら生活する親の要望はなにか、できる限り簡潔に捕らえるような工夫がひつようではないだろうか?とも思うが、さて。
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今日も、通所施設でのバイトだった。
最近、ここでの仕事に慣れてきて少し感じるのが、身体しょうがいを持つ方中心の施設ということで、職員の関心が身体しょうがいの部分に向き過ぎではないか、という点だ。
例えば、おそらく重度の知的しょうがいを伴う自閉症で、かつ車いすの利用者という方が大声を出したり、腕をつかむなどの他害行為が出たときに職員の口から「わがまま」等の言葉が出てしまっている。
もちろんその人自身の今までの人生の中で大声を出したり腕をつかんだりすることで、要求が通ってきた部分もあるだろうから、わがままで大声を出しているのかも知れないと推測される点もある。
しかし、知的しょうがいの人に長く携わってきた援助者であればそんなに簡単にわがままという言葉は使わないだろう。知的・身体的なしょうがいのために要求を伝えられないもどかしさが、大声や他害行為につながっているのかも、と洞察するなら、一概にわがままと決め付けることはできないはずだ。
身体のしょうがいはともすれば生命に関わる部分もあり、その部分に目を向けた支援を行なうことを怠ってはならないが、知的な部分で利用者が抱えている困難についても学習と洞察が必要だと感じる。
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今日は施設でバイトする日だった。
この施設は重度の身体しょうがいを持つ方が通所する施設でほとんどの利用者さんは車いすを利用し、全介助が必要な方で半数以上の方は知的なしょうがいも重く、意思疎通も難しいという施設だ。
しかしその中にも身体しょうがいの程度が軽く、知的にもしっかりされている人がいる。
施設の選択は、各個人が自分に最適と思われる場所を選ぶことができるのが支援費以降の制度の趣旨であり、障害程度区分などによる制約に引っかからない限り、その人の選択に対してバイト職員ごときが口を挟む余地はない。余計なお世話というも